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自由気ままに思うように

過去のおはなし【お日記でおま】Part8

かれこれ、高校生活を過ごし、卒業へ、そして、進学先として

通っていた学校が高等課程・専門課程とあったためそのまま

高等課程から専門課程へとあがる。

 

そんな、専門課程としての専門学校生としての日々も

良いものであるべきと思いながら過ごしていたなどとは言いませんが

それでも、自己中心的に思考し行動し、それぞれを行動として

とっていた中でもそれは、あまりにも自己すらも顧みない行動を

とったなと思うようなそういう行動をも散見される日々。

 

そんな日々がどのような物だったかは思い出しながら

綴っていくことでどうにか、文章にしよう。

 

まだ、卒業して浅いものだがそれでも、もう過去のものに

なっている部分は確かにある、そんな過去の思いを馳せてみるのも

人生においてこの瞬間が最後になるのではないか、そう思う

それは現実としてそうなるべきだと思うそういう

考え方をしているのが一番大きく関わっている

それは、あまりにも人生というそのものの世情が

そう思わざるを得ない、そうさせる。

たかだか専門生二年生という短い日々を

これから思い返そう、始まりも経過もなにがあった

という事もなくそれは日常であり普通、それになにか特別な

感情をもちようのないほどの、そんな平坦な心持ちで

人生を歩んだおかげで人生そのものに彩りを見出す能力には

長けているのかもしれない、それが本当に彩かはわからないが

それでも彩りとしての見出しようが自分の中には確かに

あるんだと、そう思うことはできる。

 

その学校の教員はあまりにも教員らしい教員はいなく

人情的に熱いというか熱すぎたり、冷えてるわけではないが

比較的に冷え切った人もいたり、いい意味で教員らしさのない

教員が多く在籍した学校だったそういう感想をもつ

そんな結果として見た、感想はあまり宛にはならないどころか

今の現状のあの学校を一切知らないのだから当たり前だ。

 

当時の、自分の学年はあまりにも大荒れな学年だったのでは

とそう思える程の酷い学年だったと言いたくなるがまぁ

今までの学年を知っている訳でも聞いたわけでもないので

これ以上特に言えることはないんだがな

それでも酷い学年ではあったとそう言える

学年ではあった、なにはなくとも自分がいたのは

そこまでの影響力はなかったが、微々たるものでも

登校頻度がマバラな生徒はそれだけで問題児なはず。。。?

それでも登校していたとしても、授業を逐一止めてしまうような

問題を抱えた問題児、意味合いの取れ方が多い言い方に

なったがそれでも実際問題色んな意味合いの問題児(?)は

実際にいたことそれは事実であった

と言うよりかはそういう問題児の受け入れを

している学校だったりもする、訳ではあります。

そんな学校での日常はあまりにも騒がしい日々でした。