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自由気ままに思うように

過去のおはなし【お日記でおま】Part9

学生である日々を過ごしていく中での熱情というものは

いっときいっときのものでしかなく続きはしないしそもそも

そんな熱情、なんてものがあったかなんてわかりっこない

話ではあるがそれをありようにありていにありものとして

ありであるかと言う事は不可能では、ない

そういった事実部分は受け入れ難いモノでもあり

受け入れざるをないような部分としても

それは確かに確固たる部分ではあるのではないかなんて

これは日記ではない。

 

学生としての日々には何があったかと問われると

それ程のなにがあったという事はなく

日常的で普遍的な日々であったと記憶はあるが

それを第三者に見られたときそれを

普遍的であると取られるかは微妙なところ

そんな日々でも少なからず変動はあり

そんな変動の中でも一際大きな変動は

別のブログに記載したがために省きます。

 

省いたためにろくに何も残っていないので形式的には

このシリーズは終わりです。

過去のおはなし【お日記でおま】Part8

かれこれ、高校生活を過ごし、卒業へ、そして、進学先として

通っていた学校が高等課程・専門課程とあったためそのまま

高等課程から専門課程へとあがる。

 

そんな、専門課程としての専門学校生としての日々も

良いものであるべきと思いながら過ごしていたなどとは言いませんが

それでも、自己中心的に思考し行動し、それぞれを行動として

とっていた中でもそれは、あまりにも自己すらも顧みない行動を

とったなと思うようなそういう行動をも散見される日々。

 

そんな日々がどのような物だったかは思い出しながら

綴っていくことでどうにか、文章にしよう。

 

まだ、卒業して浅いものだがそれでも、もう過去のものに

なっている部分は確かにある、そんな過去の思いを馳せてみるのも

人生においてこの瞬間が最後になるのではないか、そう思う

それは現実としてそうなるべきだと思うそういう

考え方をしているのが一番大きく関わっている

それは、あまりにも人生というそのものの世情が

そう思わざるを得ない、そうさせる。

たかだか専門生二年生という短い日々を

これから思い返そう、始まりも経過もなにがあった

という事もなくそれは日常であり普通、それになにか特別な

感情をもちようのないほどの、そんな平坦な心持ちで

人生を歩んだおかげで人生そのものに彩りを見出す能力には

長けているのかもしれない、それが本当に彩かはわからないが

それでも彩りとしての見出しようが自分の中には確かに

あるんだと、そう思うことはできる。

 

その学校の教員はあまりにも教員らしい教員はいなく

人情的に熱いというか熱すぎたり、冷えてるわけではないが

比較的に冷え切った人もいたり、いい意味で教員らしさのない

教員が多く在籍した学校だったそういう感想をもつ

そんな結果として見た、感想はあまり宛にはならないどころか

今の現状のあの学校を一切知らないのだから当たり前だ。

 

当時の、自分の学年はあまりにも大荒れな学年だったのでは

とそう思える程の酷い学年だったと言いたくなるがまぁ

今までの学年を知っている訳でも聞いたわけでもないので

これ以上特に言えることはないんだがな

それでも酷い学年ではあったとそう言える

学年ではあった、なにはなくとも自分がいたのは

そこまでの影響力はなかったが、微々たるものでも

登校頻度がマバラな生徒はそれだけで問題児なはず。。。?

それでも登校していたとしても、授業を逐一止めてしまうような

問題を抱えた問題児、意味合いの取れ方が多い言い方に

なったがそれでも実際問題色んな意味合いの問題児(?)は

実際にいたことそれは事実であった

と言うよりかはそういう問題児の受け入れを

している学校だったりもする、訳ではあります。

そんな学校での日常はあまりにも騒がしい日々でした。

嘘ですッ!!??

今週のお題「ホワイトデー」

ホワイトデーにおける思い出は書きませんが

それとない話、Re:大切な人へという部分に惹かれて

記事への執り行いを執筆します。

 

これは特定人物ただひとりだけに対する文章で

他意はないですが、一人に対する気持ちそのものであるが故に

自分の中の根源であり根底であり深層心理の部分を

文章に綴っていきます、その為どの様な文章になるかは

私にも、理解の外になるので、吐き気を催すような

内容になると思いますし嫌悪感でいっぱいになると思いますので

読み物として読むことを推奨しない事を此処に宣言し

読まれる方は覚悟をもって 読んでいただけるとありがたいです。

 

これはあまりにも自分にも理解しがたい日々を過ごしたと

言わざる負えない程の信じられない日々を綴った事実

それの始まりは余りにもまだ年月は経ってはいない

2年ほど前の専門学校生の頃のお話

それのきっかけそれ自体に意味なんてものが

ないほどに、なんとなくだった

パソコンの学校だったため

彼女はパソコン室で、資格試験の勉強をしていた

そんな所に暇を持て余した自分がフラフラと入り

その近く、周辺に自分はいて

記憶は定かではないが他の友人のなにかしているところを

おちょくりに行ったのではないかと思い出す

そんな勉強をしている、彼女の勉強がその日の分を終えたとき

何気ない一言として、勉強を教えようかなんて

声をかける、この一声が馴れ初めになるなんて。

 

何気ない始まり方ではあったが彼女の勉強を見る日々は

とても楽しい日々だったと思うし、勉強、それ自体を見てる

ことそれそのものが私は楽しかった、好きだった

そういった日々を過ごすのも、永遠に続く、なんて筈はなく

関係性に滞る事はない。

 

それ自体は自分からだった、それ自体は自分の行動からだった

それ自体は自分の意思であった、それ自体は、

いつもどおりに授業後に勉強を教えている一日

他の勉強している奴はなく

二人だけの空間、だったのかな

どっかの定型文感が否めないけど

男女二人なにもないなんて別に有り得るけど、

在り得るけども、今回はそうはいかず

相手の手をナゼカ握るというか

手をとってしまう、相手の反応は確かに

動揺のようなものは感じ取れたモノノそれ程の

反応はなく少しの時間が流れ時間の

タイミング、帰る時間だったために

先生の乱入が入り、帰宅に、

あれは本当にいいタイミングでした

ありがとうございました

普通だったらここでお互い気まずいながらにも

帰宅に着くはずだというのがテンプレ感を

出せるだろうが今ひとつ、今ひとつ

何を思うでもなく一日を過ごす。

 

あんな一日を過ごしておいて、普通の関係でいられるはずもなく

少しづつ、少しづつ、ずれゆく関係性

そんな関係性を続けるのが息苦しい現実に嫌気がさし

ラインを介して、相手に残酷な選択を突きつける

「俺と付き合うか、嫌いっていって」

この様な言葉を実際にラインではあるものの

本当の本当に言ったんだなって改めて

頭がヤバイ事を自覚する、と同時に相手に対して

どうしようもない罪悪感を思い出す。

 

しかし、まさかこれを聞かされた

相手と付き合おうと思える

彼女の心を俺は知りたいよ。

 

そんな狂った関係で、学生時代を駆け抜けることに

平穏でいられるには、私は他人を巻き込むことによって

保とうとしたが、ろくなもんでもなく

特段、好転するはずもなく

このような事態の収拾を一切せずに

結果としては卒業し、逃げ果せたと思いますよ?

 

逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた

 

こんな逃げに一手を傾倒したワタシをどうした

ああも、受け入れようと、受け止めようとした

様に見えるような行動をしてきたのか

これがわからない

それでもあれを俺には現実として見れないし

受け止められないし、無理だった、実際問題

そんなワタシは彼女に対して不誠実さも誠実さも貫くことが

できずに終わったその事実を今から振り返っていこう。

 

第一に馴れ初めとしての勉強を教えることをさほどしなかった

これは余りにも端的に解かりやすく邪魔だったかなと私個人としては

思う部分として、これはただ隣にいるだけでろくに相手の勉強をみずに

自分はとなりで別のことをし、勉強時間いっぱいを過ごす

そんなこんなでも、彼女は資格に合格したのだからそれそのものとしては

彼女のポテンシャルの高さ能力の高さに嫉妬すらする。

 

話はそれますが、ワタシは彼女の能力の高さをワタシは尊敬してたし

人となりだって、見て取れるぶんには、敬いたく思う部分だってあった

そんな崇拝するような対象に対してワタシはひたすらに失礼に

あたるような事をしてきたそれ自体に自覚はあるがそれは

崇拝するような存在の隣にいられるはずもないのだから

それそのものがそもそも間違っていたんだなって。

 

話を戻しますが、彼女に対してそれは、残酷的な話だったと

私個人は思う、それそのものが烏滸がましいそれを自覚もしていますが

これを曲げる事は彼女であってもそれはむりなのです。

 

中間すっとばして感想へ

 

これ程の事をしでかしておいて未だに彼女の存在を忘れられずにいる自分それ自体にはそれ程の驚きはなく、ただ自分の不甲斐なさ?というかそういう部分に嫌気がさすほどに自分の部分として根強くあり、その根っこ部分に彼女に対する好意が引っ付いている感じがして、何気ない瞬間、ひと時、一幕一幕、そういうとき、ときどきに感じるというかそういった感覚であのひと時を思い出すが反面、精神的に大打撃が来るので命の危険を感じることもしばしば、これは自業自得の賜物。それでも好きだった好きであるその事実を今、今だに今も尚、それでも思えるその事実をどうにもならないそれそのものをどうにかしてしまいかねないその、思いが重い。彼女には申し訳ない気持ちがある、それは事実だし覆らない、それは本当、彼女に対する思いとして愛情がある、これも本当、それぞれの想いが、おもいおもいに想いをそのものを心の外に、体の外に、理の外に、全てからの外に、それを置くことで今は生きている、のかもしれない。

 

これは全て事実で過去で終わったことで再開はしなくてさせなくてさせるはずもなくてしようもなくてどうにもならないそんなお話。